「私の人生にとって、1番幸福なこととは何だろう???」と、
今日先ほどまで、みずからの意識に問いかけていました。
例えば今私が死につつある最中としたら、
振り返って何を感じるだろう???
それはーー
「他者に自分が受け入れられた、りかいした、
そして自分も他者とつながった、
魂の仲間がいるという瞬間の幸福」と気づいたのです。
それは瞬間のきらめきのように、
持続してあるわけではなく、
実際にどこまで理解し合えたのかも、判然としない……。
それでも最後に私が「幸福」を味わっているのは、
「深い意識で、共感しあえる人との出会いの瞬間がいくつかあった」
というそれだけなのだ。
安楽でもなく、
お金でもなく、
自由でさえ、なかった。
振り返れば、私自身の持っている傾向として、
「自分がなかなか理解されないことに苦しむ」ことがあるのですが、
魂の旅の過程はむしろ暗夜が続いているようであるわけで、
「幸福」が瞬間のきらめきでしかないのは、自然なことなのですね。
さらに「ここで、私に何ができるだろう??」と問いかけてみるとーー
……他者に受け入れられないかもしれない、
りかいされないかもしれないことを怖れずに、
自分にとっての「核心」というボールを、
オープンに世間に向けて投げかけることだーー
と、気づかされました。
「自分が理解されない」というような哀しみや苦しみ、怖れは、
もはや今ここから、不要となったのだ。